「本来の自分へ戻る」「自分を取り戻す」
そんな言葉を、耳にすることがあると思います。僕自身も、よく使ってきた言葉です。
でも、それって実際にはどういう意味なんだろう。そう立ち止まって考えたことは、ありますか?
実は僕自身、この言葉を使いながら、ずっと問い続けています。
今の自分は、本来の自分ではないのか。戻るとしたら、いったいどこへ戻るのだろう、と。
セッションをしているときや、自分自身がセッションを受け終わったあとに、ふっと、何もない“シーン”とした静かな空間を感じることがあります。
その空間はとても心地よくて、そのあとに何かを選ぶとき、迷いがほとんどありません。
何を食べるか。
何をするか。
「これを食べたい」「これをやりたい」そう感じたことを、まずそのまま選べる。そこには、無理や我慢、理由づけがほとんどありません。
それは、自分に制限をかけていない状態なのかもしれません。
だとしたら、本来の自分とは「何かに縛られていない自分」なのではないか。迷いなく選び、必要なものを取捨選択できる状態。
それができなくなっているとき、僕たちは本来の自分から、少し離れてしまっているのかもしれません。
ただ、「本来の自分ではない自分」が悪いわけではない、ということも忘れずにいたいと思っています。
迷いが出たり、制限が強くなったり、選べなくなる時期も、生きていれば自然に起こるものです。
それもまた、その時の自分に必要な反応であって、否定するものではありません。
この“シーン”とした空間は、
いわば「無」に近い状態だと感じています。
無であるからこそ、そこから自然に立ち上がってくるものには、無理がありません。
欲望なのか、執着なのか。
それとも、何にも縛られていないところから生まれた、
本当に向かいたい方向なのか。
その違いは、とても静かですが、体は確かに知っています。
無から出てくる選択には、どこか軽さがあり、自然さがあり、その先には、静かな喜びが待っているように感じます。
大切なのは、「あ、今は少し制限がかかっているな」と気づけること。
そして、また戻れる感覚を知っていること。
それだけで、十分なのかもしれません。
「本来の自分へ戻る」という言葉が生きてくるのは、きっとこうした感覚を、体で思い出せたときなのだと思います。
何かを足すことでも、
何かになることでもなく、
余計なものが外れていった、その先にある自分へ。
そんな時間を、セッションを通してそっと思い出していけたらと思っています。



